鳩ケ谷原人 第3回 中野栄治 氏

昭和40年代、
鳩ヶ谷市八幡木地区に大規模な工業団地を作り工場を誘致するという計画があった。
もし、それが実現していたら鳩ヶ谷は今と全く違う町になっていただろう。
その計画を発案した人である。

 

私が子供の頃(1960年代)の記憶では鳩ヶ谷市坂下町にパイオニアの工場があった。
鳩ヶ谷本町、現在スカイパルマンションの場所には大きな紡績工場があった。
 当時は、町のあちらこちら、路地裏にも小さな町工場があり、油の匂い、旋盤の音、機械の動く音がしていた。
商業と工業グチャグチャに入り乱れた様相だったが町が活気に溢れていた。
もし、あの時、都市計画の線引きが今と違う形でなされていたら、、、、。
中野氏の工業団地誘致の話を聞きながら、町づくりとは何なのか、考えさせられた。

 

中野栄治氏は戦後27歳で台湾から復員。鳩ヶ谷市坂下町に機械工場を開設。
業績は順調に推移し、数年後、手狭になった工場を拡大するために新たな施設の建築を計画。
しかし、都市計画の線引きにより既存敷地で工場建設を断念。
そこで、鳩ヶ谷市八幡木地区に工業団地を作る計画を推進したのである。

 

経営の一線から退いた今も町の経済を気にかけ、
会うたびに「チャレンジしなさい!」と叱咤激励の言葉を頂いている。
そして、昔と変わらないダンディーな佇まい。
今も、鳩ヶ谷を代表する経済人である。

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